
登録:2022/02/12
更新:2022/02/14
苗字:Vuillard ヴュイヤール
名前:Edouard エドゥアール
性別:男
生年:1868年11月11日
歿年:1940年6月21日
享年:71歳
生誕:153年
歿後:81年
時代:20世紀
地域:ヨーロッパ
生地:フランス キュイゾー
没地:フランス ラ・ボール
師匠:
分野:ナビ派
得意:絵画以外、装飾・版画など
西 暦 | 年 齢 | 内 容 |
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1868年 | 0才 | 11月11日フランスのキュイゾーで生まれ、同地で少年時代を過ごした。 |
1878年 | 10才 | 一家はパリへ移る。ヴュイヤールの父は退役軍人で、母マリー・ヴュイヤールとは27歳も離れていた |
1884年 | 16才 | 父が亡くなるとヴュイヤールは奨励金を受けて、学業を続けた。コンドルセ高校時代にヴュイヤールはケル・グザヴィエ・ルーセル、モーリス・ドニ、音楽家のピエール・ハーマン、劇作家のピエール・べバー、リュネ・ポーらと出会う。 |
1885年 | 17才 | コンドルセ高校をやめる。親友のルーセルのアドバイスで、兵役を拒否してディオジェーヌ・マイヤールの絵画教室に入る。そこで、ルーセルとヴュイヤールは絵画の基礎的な訓練を受けた。 |
1887年 | 19才 | エコール・デ・ボザールの入学試験に合格した。 |
1890年 | 22才 | ピエール・ボナールやポール・セリュジエと出会い、ポール・ゴーギャンの総合主義から影響を受け画学生を集めたナビ派を結成する。 |
1898年 | 30才 | ヴィネツィアやフィレンツェへ旅行する。翌年にはロンドンへ旅し、その後、ミラン、ヴィネツィア、スペインへと旅した。またブルターニュやノルマンディーにも旅をしている。 |
1890年 | 32才 | 芸術家が協力した文芸雑誌『ラ・レヴューブランシュ』の編集者であるアレクサンドリア&タデー・ナターソン兄弟に出会い、ヴュイヤールがピエール・ボナール、ロートレック、フェリックス・ヴァロットンらとともに同誌に紹介される。 |
1892年 | 34才 | ナターソン兄弟のアドバイスで、デスマレーの家の装飾絵画を制作する。これを機に装飾絵画制作の仕事が増える。 |
1894年 | 36才 | アレクサンドリア・ナターソン家の装飾絵画を制作した。 |
1898年 | 40才 | クロード・アネット家の装飾絵画を制作した。 |
1908年 | 50才 | バーンスタインの家の装飾絵画を制作した。 |
1939年 | 81才 | パリのシャイヨー宮の室内装飾、ジュネーブのパレ・デ・ナシオンの室内装飾を担当している。 |
1940年 | 82才 | 7月21日、南仏ブルターニュの、ラ・ボールで死去。 |