
登録:2022/02/18
更新:2022/02/18
苗字:Morandi モランディ
名前:Giorgio ジョルジオ
性別:男
生年:1890年7月20日
歿年:1964年6月18日
享年:90歳
生誕:132年
歿後:58年
時代:20世紀
地域:ヨーロッパ
生地:イタリア ボローニャ
没地:イタリア ボローニャ
師匠:
分野:マジックリアリズム 形而上絵画
得意:静物画
西 暦 | 年 齢 | 内 容 |
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1890年 | 0才 | 7月20日イタリアのボローニャに生まれた。その生涯のほとんどをボローニャと避暑地のグリッツァーナ(ボローニャ近郊、アペニン山麓の村)で過ごした。 |
1907年 | 17才 | ボローニャの美術学校(アカデミア・ディ・ベレ・アルティ)に入り、1913年までそこで学んだ。生涯を通じ、特定の画家グループに属することはほとんどなかったが、初期には未来派及び形而上絵画との接触が若干あった。 |
1913年 | 23才 | フィレンツェのテアトロ・ヴェルディにおける「未来派の夕べ」という行事に参加。 |
1914年 | 24才 | ボローニャのホテル・ヴァリオーニで開催された未来派の展覧会を見、未来派の中心的作家であるウンベルト・ボッチョーニやカルロ・カッラらと会っている。モランディは同じ1914年からボローニャの小学校でデッサン教師となり、1929年までこの職にあった。 |
1915年 | 25才 | 軍隊に入るが、病気のため数週間で除隊。回復後、自身の初期作品の多くを破棄したという。 |
1922年 | 32才 | フィレンツェで開催されたフィオレンティーナ・プリマヴェリーレ(フィレンツェ春期展)にデ・キリコの紹介で出品。展覧会のカタログにはデ・キリコがモランディを讃美する紹介文を書いた。 |
1926年 | 36才 | 1926年と1929年にはミラノにおけるノヴェチェント展に参加した(「ノヴェチェント」は「1900年代」の意味)。この「ノヴェチェント」はルネサンスの古典を範として、1900年代のイタリア美術を復興させようという、反前衛、保守的美術運動であり、思想的にムッソリーニのファシズムとつながりがあった。 |
1930年 | 40才 | モランディは自分自身も卒業したボローニャ美術学校の版画教師となり、第二次大戦後の1956年までこの職にとどまる。 |
1940年 | 50才 | 1夏をグリッツァーナ、それ以外をボローニャで過ごすようになり、静物画とグリッツァーナの風景画の2つが主要な制作テーマとなった。 |
1950年 | 60才 | 国際的な名声が高まり、ヴェネツィア・ビエンナーレなどに盛んに出品している。 |
1953年 | 63才 | サンパウロ・ビエンナーレ版画部門で大賞。 |
1957年 | 67才 | サンパウロ・ビエンナーレ絵画部門で大賞を受けた。 |
1964年 | 74才 | 故郷ボローニャで死去。モランディは生涯独身であり、生活の面倒はおもに3人の妹たちが見ていた。 |